歯科医師09のプロフィール|福山市 なかむら歯科クリニック 痛くない・やさしい歯医者

スタッフ紹介

スタッフ プロフィール

自己紹介

皆様初めまして。
私は1989年に岡山県の笠岡市にて生を受けました。

〈幼少期〉
幼少期はとてもお喋りな子供でした。生後半年程から話し始め、一歳頃には会話が出来ていたらしいです。
その反面、運動は得意ではありませんでした。スイミングスクールでは一歳下の子たちと練習をしていました。

両親は共に歯科医師であり、親族は全て医師、歯科医師、薬剤師という医療家系の中で育ちました。
そのため、患者様を第一に考えるという教えを親族全ての背中から学ぶ事が出来ました。
この教えは今に生かされていると考えております。

〈小学校時代〉
小学校時代は落ち着きの無い子供でした。突飛な事をして、よく母を困らせていた覚えがあります。
また極度の怖がりで、小学一年生の時に国語の教科書の表紙が怖いという理由で表紙に厚紙を貼って使っていました。

スタッフ

〈中学、高校時代〉
中学、高校時代は生徒会に所属し、文化祭運営などに携わりました。それ以外は友人達と遊んでばかりで、気付けば成績は右肩下がりになってしまいました。
これではいけないと高校三年生の3月頃に一念発起し、高松予備校という全寮制の予備校に入塾しました。

高松予備校での生活は中々に過酷でした。なにせ門限が夕方5時です。ちなみに授業が終わるのが4時過ぎで、予備校から寮まで自転車で片道40分かかります。深夜の携帯の使用は禁止されており、夜10時以降は寮に預ける決まりでした。もちろんゲーム類なども禁止です。寮監は元自衛官の方で、70歳を超えているのに寮生の誰よりも腕相撲が強い方でした。学生時代に部活をせず、ぬるま湯に浸かっていた私にとっては大変な環境でした。

そんな中々に過酷な環境で勉強をし、一年の浪人生活を経て徳島大学に入学しました。
その過程で努力する事の大切さを学び、忍耐力を身につける事が出来ました。ついでに体力もつきました。

〈大学時代〉
大学時代は、歯科研究会というボランティアサークルに所属しました。そこで幼稚園を訪問して歯磨き指導、人形劇の上演を行い、そうした経験の中で歯科の基本的な知識だけでなく、お子さま達との接し方を学ぶ事が出来ました。
また、オープンキャンパスでは入学希望生の前でプレゼンを行うなど、サークルを通じて楽しみながら大学に貢献する事が出来ました。そこで出会った友人達とは定期的に連絡を取り合い、勉強会を開いて切磋琢磨しています。

スタッフ

〈前勤務医時代〉
卒後は神戸の大型の歯科医院にて勤務しました。そこで歯科治療の手技だけでなく、医療従事者としての在り方についても学ぶ事が出来ました。

最終的にはリーダーという役職を与えて頂き、歯科医院の経営についても学ばせて頂く事が出来ました。多くの事を学ばせて頂いた当時の院長先生とは、今でもお中元、お歳暮をお送りする仲です。

神戸にて充実した歯科医師人生を満喫している中、歯科医師であり、実家の歯科医院の経営を行っていた母が亡くなりました。 そのため、母の代わりに診療、経営を手伝わなければいけなくなり、実家である笠岡の歯科医院に副院長として勤め始めました。 実家の歯科医院をなんとか軌道にのせ、経営が落ち着いてきた中で、母が生前繰り返し話していた人生は修行であるという言葉を思い出しました。

「自分は今修行が出来ているのだろうか、漫然と生きていないだろうか。」

そう悩んでいる中で出会ったのが、なかむら歯科クリニックの院長である中村先生でした。 大学時代の友人の伝手で中村先生とお話する機会を頂き、なかむら歯科クリニックの治療、教育の在り方、中村先生の掲げる"三方よし"という考え方に感銘を受けました。 そのため、中村先生の下で経営方法、診療技術を学びたいと思い、2022年11月になかむら歯科クリニックの門戸を叩きました。

現在、笠岡の歯科医院で副院長として勤務しながら、週に2日なかむら歯科クリニックで勤務させて頂いております。 なかむら歯科クリニックでの生活は日々学ぶ事ばかりで、まさに修行を行えているという実感があります。

スタッフ

歯科医院に来られるほとんどの方は、不安でいっぱいだと思います。私は痛がりで怖がりなので、お気持ちはとても分かります。 ですので、どんな些細な事でも構いませんので何でも相談して下さい。当院では患者様に十分な説明を行い、患者様が納得された後に治療に入らせて頂いております。

患者様の不安を一緒に解決し、健口、口福のお手伝いをさせて頂きたいと考えておりますので、よろしくお願いします。

院内ストリートビュー!

院内を360度のパノラマビューでご覧いただけます。

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