クリーンスタッフ06のプロフィール|福山市 なかむら歯科クリニック 痛くない・やさしい歯医者

スタッフ紹介

スタッフ プロフィール

一言メッセージ

安全でより良い治療を受けて頂くために器具の速洗、滅菌作業に取り組みます!

自己紹介

私は広島県(呉市天応・天崎)で7人兄弟の6番目の子として生まれました。

父は原爆直後の広島市に家族を探しに行った事で、入市被爆。その後に生まれた私と弟は被爆二世です。

父が他界したのは、私が小学校に上がったばかりの時、原爆投下から11年後のことでした。もともと父は朝早く仕事に出て、夜は遅くに帰ってくる生活で、また晩年は入院生活をおくっていたため、父との思い出はなく、顔も覚えていません。

弟は心臓弁膜症でよくひきつけをおこしていましたが、私は比較的に健康に育ったようで、少女時代は近くの野山を駆け巡り、秘密基地でブランコを作ってみたり、近所の幼馴染と缶けり、かくれんぼ、ゴム飛び等と、暗くなるまで外遊びをして、天真爛漫に過ごしました。

15歳離れた上の姉が東京に嫁いでいたので、小学校5年生の時、姉に呼ばれ初めて一人旅をして、バトントワラーの講習に行ったこともあります。十六時間汽車に揺られ到着すると講習先の学校の校庭にセメントが塗られており、当時としては砂地では無かったことに大変びっくりしたのを今でも記憶しています。

中学校でもバトントワラーは続けていたのでパレードに出て披露したり、楽しく過ごしました。学校のクラブは陸上部(短距離走)に入部したのですが、中体連では数合わせで中距離走に出されて散々な思いをしました...それも良い思い出です。

とはいえ、父の死後、我が家の生活は困窮しましたので、母は親戚に生活費を借りに行ったり、私たちの着るものも、おさがりをもらったりと、苦労して育ててくれました。

戦後で食べる物がない時代とはいえ、ひもじい思いを強いられた生活は食べ盛りの子どもとしてはつらかったですが、叔母がよくお腹を空かした私達にパンの差し入れをしてくれたので、ありがたかったです。

そんないただきものがある日も、兄弟の誰かがぬけがけするわけでもなく、皆が戻ってくるまで待ち、分け合って食べたりしました。

かまどでご飯を炊いたり、山の枯れ葉を拾ってきて風呂を沸かし、消し炭をツボに入れたり…兄弟で助け合いながら、子どもなりによく働いたと思います。

子育ては放任主義の母でしたが、「いつも背中の後ろからお父さんが見ているから悪いことは出来ませんよ」ということは、よく言いきかせてくれました。

母が食前には仏壇に手を合わせ、父に子どもたちの事を報告していた姿を、今でも思い出します。その度に、なぜ私には父がいないのだろうと寂しい思いもしましたが、精一杯頑張って働いている姿を見ると、誰にもうちあけられず我慢して過ごしました。

家ではお金を見たことが無く、店ではつけで買い物をしていたようです。兄達に聞くと弁当にうどん玉や焼いた食パン一枚だけが入っていたこともあったと聞きました。一ヶ月に一度、食卓に肉なし野菜スープカレーがでたときは、ごちそうでした。


今では欲しい物は何でもコンビニで買えますが、その当時は母が一年に一度、花見弁当に寒天寄せを作ってくれたくらいが唯一の贅沢といえるような時代ですので、勉強の出来ない私ですが、家族においしいみそ汁を振舞いたいという思いもあり、地元の高校の食物科に入学しました。

アルバイトをしたお金で正月におせち料理を作った時、美味しくできて、自分自身も喜びを覚えました。

高校時代は、茶道部で裏千家を習い、卒業前にはソロバンを習い、姉が勤めていた地元の金融機関に就職しました!!

会社は福利厚生が行き届いていたので、お茶、お花、お琴、書道、絵画、手芸等、大半が会社持ちで習うことができ、いわゆる花嫁修業ができました。うたい(謡)にはバスで通っていたのですが、その度に母に大正時代の古い着物を着せられ、年頃の娘としては恥ずかしかった思い出もあります。

縁あって福山に嫁いで、三人の子どもに恵まれました。

ここまでなら結婚生活は順風満帆のように聞こえるかもしれませんが、その中身は、毎日怪我をして病院へ行くような子を育てながら、私は体調をくずし闘病生活と、なかなか波乱万丈な日々でした。

メニエール病を発症して光が怖くなり、寝たきりになったこともあります。食べられない辛さ、痛みとの戦いもありました。

3度生死をさまよいましたが、回復した後は救われた命と思い、環境ボランティアで奉仕活動をはじめました。現在も続けています。

限られた時間と体力の中、仕事も興味のあるものにはどんどん挑戦しました。事務に始まり、営業、保険、仲居、テレフォンアポインター、ホームヘルパー、調理補助、福山シルバー人材センター(清掃)、コンビニレジ、放課後児童クラブの補助員と、四十年間、社会と関わり続けています。

シニアになると自転車で通える範囲のところで働きたいと思っていたところ、近くで見つけたこちらに応募しました。短時間勤務で体に無理がなく、またWワークができるところも私にとっては決め手です。

まだクリーンスタッフとして日は浅いですが、体力の続く限り働き続けたいと思っています。

現在はこども園の清掃と、こちらの医院でのクリーンスタッフと、かけもちをしていますが、子ども食堂もいいなぁとか、まだまだ夢があるので、ボランティア先を探したりもしています!

今後も与えられた立場を全うし「活かされながら生きていきたい」と思っています。

院内ストリートビュー!

院内を360度のパノラマビューでご覧いただけます。

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