プロフィール
自己紹介
私は生まれも育ちも、そして結婚後も福山で暮らしています。
昔、近所には小さい子がたくさん住んでいて、よく子守りを頼まれていました。
年下の子の面倒を見るのが大好きだった私は、いつしか「保育士さんになる」が将来の夢になっていました。
もともとの性格は超人見知りで恥ずかしがり屋でしたが、小学5年生のときにできた明るい友達に大きく影響を受けました。当時流行っていた「あみん」や「シュガー」の歌をハモって一緒に歌ってくれるのが楽しくて仕方がなく、まわりの友達皆の前で披露していくうちに私も明るい性格へと変わっていきました。
走ることが大好きで、中学・高校では陸上部に所属し、走り幅跳びを専門にしていました。
中学時代には福山市で3位になったことも、良い思い出です。
高校では毎年広島県大会に出場するほど陸上に没頭し、放課後もグラウンドで汗を流し、夢中で跳び続けた3年間でした。
この時に培った、目標に向かって努力する力や忍耐力は、今の自分を支える土台となっています。
また、部活を通じて悩みや不安を分かち合える最高の仲間にも出会えました。
その後は夢だった保育士になるため、保育科のある短大に進学しました。
毎日が本当に楽しく過ぎていきましたが、子どもの頃にピアノを習っていなかった私はピアノの授業にはとても苦戦しました。
保育所・幼稚園実習では、日々子どもたちの成長を目の当たりにし、「自分自身が子ども達にとっての最高の人的・環境にならなくては」と気を引き締め、背筋を伸ばす思いとともに、日々自分も人として成長しようと決めて、多くのボランティア活動にも積極的に参加しました。
待ちに待った保育所での仕事が始まったときには、嬉しさと不安が入り混じっていましたが、先輩や同僚、友達に支えられながら、気づけば15年の間保育所で働くことができました。
なかでも心に残っているのは、障害児加配として働いていたときです。金子みすゞさんの“みんなちがって みんないい”という言葉を、実体験として感じる出来事がありました。
足に障害のあるK君が運動会に参加した時に周りの園児たちが「腕をしっかりふってみ」「頑張れー」と声援を送るだけでは足りず、K君のそばに駆け寄って本気で応援する姿にとても胸が熱くなりました。
順位よりも、チームのみんなが全力を尽くし、支え合うことの大切さを子どもたちが教えてくれた瞬間でした。
また、なかなか集団に入れないM君という男の子がいました。
保育士の立場からすると、「みなと同じようにさせないと」との想いがつい出てしまい、焦ってしまうこともよくありました。
けれども、園児たちは違いました。
一人離れた場所にいるM君をみても「M君はプールの中が好きなんよなー」「こっち見てるから、みんなと一緒よなー」とM君の行動が皆と違っていても、一緒に参加しようとしている気持ちを汲み取り、その子の存在を大切に見守ってくれていました。
子どもたちは本当に、まっすぐで純粋で、時に大人以上に周囲を見ており、そこでもやはり子どもたちから、“違うからこそ素晴らしい”という気づきをもらいました。
私にとってこの15年間、出会った全ての子どもたち・保護者の方々と過ごした時間は宝物となっています。
結婚し3人の子どもにも恵まれて、変わらず働き続けていた中、3人目の子が病気で亡くなってしまいました。
あまりのショックでパニック障害を患い、大好きだった保育士の仕事を辞めざるをえませんでした。
2人の子供たちを大切に育てるために、まずは自分が元気になろうと決意し、家族や友人に支えられながら、体調を整えつつ再び社会へ戻る準備をひとつひとつとしていきました。そしてようやく、自分にできる仕事を見つけて社会復帰することができました。
最初は子どもと関わらない分野の仕事に就きましたが、やっぱり未来を担っていく子どもたちに関わることが大好きで、そういった分野の仕事がしたい、誰かの役に立ちたい、という思いが強くなり、そんな中でご縁があり、なかむら歯科クリニックの託児ルームで働かせていただくことになりました。
託児ルームでは保育所とは違い、日ごと・時間ごとで、年齢も違ういろんなお子様や患者様と出会うことができ、毎日たくさんのパワーや癒しをいただいています。
これからも、今までの様々な経験を活かしながら、お子様一人ひとりを丁寧に安全に楽しく保育させていただきます。患者様には安心して治療に専念していただけるよう全力で頑張って参りますのでどうぞよろしくお願い致します。