DTPオペレーターのプロフィール|福山市 なかむら歯科クリニック 痛くない・やさしい歯医者

スタッフ紹介

スタッフ プロフィール

自己紹介

年の離れた三姉妹の長女として福山で生を受けました。

周りが皆年下だったため、望まずリーダーとしての役割が多い幼少期でした。いつも外で元気いっぱい駆け回っていました。そんな中、小学校から中学校にかけてたくさんの習い事をやらせてもらいました。

ピアノ、合唱団、書道、スイミング、公文、社交ダンス…。親が選んだ教室は全てスパルタでしたが特に気負わず通っていました。
その結果どれもモノにならず両親には申し訳ない思いです。

習っていない絵だけは得意で必ず賞を取っていましたが、いつも二番手で悔しい思いをしていました。

初めての挫折

中学に入りイジメの標的にされました。周りの目が怖くなり、内にこもるようになった私を助けてくれたのは様々な物語でした。 毎日図書館に通い、本を何百冊と読みました。漫画も大好きで子どもが読むようなものではないものまで幅広く読み漁りました。
昔から絵を描くのが好きだったので、見よう見まねで漫画を描いたりイラストを描いたりしていました。

自分の大切な世界を持つことで自分を守っていたのだと思います。

高校は第一志望の学校に入ることができ、そこで新たな出会いもあり生まれ変わることができました。
漫画への思いは募る一方でもっと創作をしたいという強い希望で、東京の短大へ進学することに決めました。自分の学力では難しい所でしたが、何とか滑り込むことができ母校から初めて受かったということで先生に褒めていただいたのが嬉しかったです。

人生の岐路

東京での二年はあっという間で専攻は国語国文科だったのですが、同人誌制作のおかげで印刷知識や誌面を構成する力もある程度身についていたため、地元のデザイン会社を受けることに決めました。
“デザインや業界にまだ擦れていない”という理由で運よく一社目で就職が決まりました。専門知識は学んできていないのでここではデザインの基礎と業界の流れを叩き込まれました。

若かったこともあり、残業100時間以上を普通にこなしていました。毎日我武者羅に働いていたので持久力と勝ちにいく貪欲さはここで身についたのだと思います。

結婚を機に一度はデザインの職を離れましたが、印刷の知識をもっと学びたかったため次は印刷会社に就職しました。 ここでは本当にたくさんのことを経験させて頂きました。
自社商品の立ち上げ、企画、商品化。ハンズでの実演販売、イベント出展、有名な絵本作家さんとのコラボ商品の企画立案製品化… その他にも地元企業と密着した大きな仕事も多々あり、人と人とのつながりの大切さを感じました。

一人の力には限界があります。

第二の人生のはじまり

その間二人の娘にも恵まれ、同人誌制作やフリーデザイナーとして細々と活動していましたが、縁あって、なかむら歯科クリニックでDTPオペレーター(印刷デザイン)の職をいただく機会に恵まれました。
全く知らない業界で覚えることも多く大変ですが、その分患者さんの目線に立った印刷物を作ることができると思います。

医院とスタッフ、患者さんの間に立ち、橋渡しのような役割の物づくりをしていきたいです。

院内ストリートビュー!

院内を360度のパノラマビューでご覧いただけます。

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