歯科医師02のプロフィール|福山市 なかむら歯科クリニック 痛くない・やさしい歯医者

スタッフ紹介

スタッフ プロフィール

自己紹介

私は整形外科医の父と薬剤師(だけど専業主婦)の母のもとに生を受けました。

小さい頃は父の手術の本を眺めて楽しむ、ちょっと変わった子供でした。
そして幼稚園の頃になると「私は手術する人になる」と思い描くようになっていました。
その後医学部に進学できるようにと中学受験を経て、私立の進学校に進みました。

中高6年間は楽しかったことしかあまり記憶はありませんが、中学の頃は学年でも上位のほうだった成績が高校2年生頃からみるみるうちに下がっていき、気づけば国立の医学部の合格が難しいレベルにまで落ちていました。

1年浪人をさせてもらい、父の母校である徳島大学の医学部、歯学部を受験しましたが、残念ながら医学部は落ちてしまいました。両親にはもう1年浪人することも勧められましたが、歯科には『口腔外科』という手術ができる科があるということを知り、「手術ができるなら歯医者でもいいか♪」みたいな軽い気持ちで徳島大学の歯学部に進みました。

スタッフ

大学時代も楽しいことしか思い出せないのですが、なんとか無事に6年で卒業することができました。

卒後は大学時代からお世話になっていた第1口腔外科へ残ることになりました。
そこで1人目の師匠である宮本洋二先生(現教授)に出会いました。

宮本先生は当時医局員から恐れられていて、私も最初はいつもびびっていました。ですが、勇気を出して質問にいくと、わかりやすく丁寧に教えてくださり、そのときの教えは今も私の宝です。今でも手術中に迷うことがあると、頭の中で宮本先生の「ええか、よう聞け!ここはこうするんや!」という声が聞こえてきます。

徳島大学第1口腔外科へ入局後4年が過ぎようとするころ、高知大学医学部歯科口腔外科へ移動することが決まりました。そこで2人目の師匠、山本哲也教授に出会いました。

医学部の歯科口腔外科というのは、歯学部の口腔外科と違い、一般の虫歯治療や入れ歯の治療も行わなければなりません。ですが、卒後4年間ほぼ口腔外科しか経験していなかった私は、挫折感に苛まれました。

毎日教授にダメ出しを食らい、しょっちゅう教授と喧嘩(今思えば親子喧嘩のようでしたが)していました。
また医局員の数も徳島大学時代は20人くらいいたのに対し、教授を含め7人しかいない状態でしたので、患者さんもたくさん担当しないといけませんでした。その中には末期の口腔癌の患者さんもたくさんいらっしゃいましたので、亡くなっていく患者さんを見送らないといけない辛さもたくさん味わいました。歯科医師として治療に介入していける限界を感じました。

そんな時、医学部の麻酔科に半年間勉強しに行かせてもらえることになりました。
麻酔科では、医科の手術の術中管理や術後管理を経験することができ、医師免許さえあればもっと自分自身で患者さんを救えることができるのではないかと考えるようになりました。そこで一念発起し、口腔外科を退職し、医学部の編入試験を受けるべく受験勉強することにしました。卒後8年目の秋でした。

受験勉強するにしても、自分の小遣いくらいは稼がないといけないと思い、高知市内の歯科医院に勤務することにしました。

ですが、受験勉強を始めて半年後、父が末期の食道癌であることがわかりました。余命1年と宣告され、呑気に学生をしている場合ではないと考え、心残りでしたが医学部編入を諦めました。翌年の2月に父が亡くなり、これから先歯科医師としてやっていくために、もっとレベルアップできる環境に移ろうと思っていた時に、香川県のとある歯科医院に就職することが決まりました。

その医院は当時常勤歯科医師だけでも20数名在籍する大きな医院で、そこで3人目の師匠、大塚登先生に出会いました。登先生は私の両親よりも年上の先生でしたが、いつでも勉強することを忘れず、今でもどんどん進化されている先生です。技術はもちろんのこと、人柄もまるで太陽のような先生で、いつでも「色々チャレンジしなさい。もし失敗しても絶対僕が助けてあげるから!」と背中を押してくださいました。

それまで口腔外科の分野以外苦手意識しかありませんでしたが、登先生のおかげで他の分野にも積極的に挑戦することができ、いつの間にか歯科治療が大好きになっていました。

登先生の指導のもと7年間勤務していましたが、妊娠を機に色々なことがあり、退職することになりました。
退職が決まってからたまたま登録した歯科医師の転職サイトを通じてメールをくださったのが、なかむら歯科クリニックの中村幸生先生でした。同い年で歯科医師としても同期の中村先生から「一緒に歯科医師として向上していきましょう」とメッセージをいただき、一度見学に来させていただきました。アットホームでみんな楽しそうに仕事をしているこのクリニックにぜひ勤務させてもらいたいと思いましたが、主人の仕事の関係で、その時は泣く泣く諦めました。

ですが、また福山に引っ越すことが決まった時に、恥を忍んで中村先生に連絡をさせてもらうことになりました。中村先生は「今まで2回も見学に来られた方は初めてです」と笑っていらっしゃいましたが、皆さんに暖かく迎えていただき、縁あって2019年4月から、なかむら歯科クリニックで働くことになりました。

今の私の現状ですが、なかむら歯科クリニックのレベルについていくのに必死です。中村先生をはじめスタッフの皆さんのおかげで、日々勉強しながら楽しく診療させていただいています。今まで培ってきた口腔外科の知識も生かしながら、皆様の健口と口福のお手伝いができるよう努力してまいりますので、よろしくお願い致します。

院内ストリートビュー!

院内を360度のパノラマビューでご覧いただけます。

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